na23's diary

読書メモ&写日記

雨引観音

雨引山楽法寺

山号は雨引山、楽法寺。駅でママチャリを借りて寺のある山に登る。レンタサイクルは土日と休日のみ。ふもとからここまでほぼ押し歩きでシンドイw

 

つくばリンリンロード 

土浦まで40キロ続くこのサイクリングロードは昔は鉄道路線で、参拝客を見込んで雨引駅というのもあった。現在、駅のあとは休憩場になっているらしいが、途中で参道に入ったのでそこまでは行かなかった。

 

Free-range Peacock

寺のある山には孔雀が放し飼いにされている。人を恐れることもなく、写真を撮らせてくれる。

 

White Peacock

普通の孔雀以外にも世界の珍しいキジ類を飼っていて、羽根の美しいキジに関しては動物園並である。オナガキジ、ハクトウミヤマハッカン、ハッカン、ギンケイ、キンケイ、オウゴンキンケイ、白孔雀など。

 

オウゴンキンケイ

 

密教寺院らしい宝塔。Pagoda

 

景色がいい。   140615-0105

 

140615-0407

  

梅雨の時期は紫陽花でいっぱいになるアジサイ寺でもある。日本二大鬼祭の一つという「マダラ鬼神祭」には行ってみたい。Blue petals

北アジアと中央アジアのシャーマン

 

シャーマニズム (「知の再発見」双書162)

シャーマニズム (「知の再発見」双書162)

 

 新刊書のコーナーで発見して思わず買ってしまったのだけど、これは失敗だった。全ページに貴重で美しい写真や絵があって、それはいいのだけど、本文も図板の解説みたいで、まったく文章に集中できない。まえがきで中沢新一が「引導を渡す」とまで書いているニューエイジによるネオシャーマニズムへの批判なんて、ほんのちょっとしかなくて、何のインパクトもない。どうも中沢新一のネオシャーマニズムというのはカスタネダなど60年代のものをと指しているようで、近年の実践的な人達については知らないのではないか。本書の研究も、あくまでも学者が外部の観察者として様々な証言や資料を寄せ集めて再構成したものであり、シャーマン自身の内面世界に迫るものではまったくない。本物のシャーマンによるチェックも一切ないのだろう。断片的できわめて不正確なものだという印象を受ける。

まあそうはいってもシャーマンの通う異世界に上・中・下の3つがあることや、シャーマンという言葉のもとになった文化がせいぜい17世紀までしか遡れず、イスラム教や仏教からの影響が様々な度合いで混じっており、地域によってかなり異なることなど、興味深い部分もある。…全体としてはよくわからないが。

神仏習合

 

神仏習合 (岩波新書)

神仏習合 (岩波新書)

 

 新書にしては結構難しい本で、またアマゾンレビューによると疑問点がいくつかあるようだが、読めば仏教と神道の関わりについていろいろ疑問に感じていた部分が氷解する。結より

日本の神仏習合の歴史にはヨーロッパと決定的に異なる普遍宗教と基層信仰の結合のしかたをみてとることができる。日本では、仏教が神祇信仰を排除・抑圧することなど一度もなかったから、仏教が神祇信仰を吸収するさい、神祇の名を唱えることを禁ずる必要もなく、三位一体論などで神祇を仏教の基層の神々に読み換えて横すべりさせる必要もなかった。だから日本における仏教と神祇信仰は、ヨーロッパのように閉ざされた系でキリスト教に吸収されるのではなく、開かれた系で結びあい、仏教と神祇信仰の共存の上に競合と結合を築き上げたのであった。

 

ここ重要。勢力を拡大し続ける仏教に対抗して築かれた王権側の「ケガレ忌避観念を核とする神祇信仰」をも取り込んで、それを超えてしまったのが、日本浄土教による最終的な神仏習合の世界の完成であった、と。

本地垂迹説は、神の側から仏に近づくのではなく、仏自体が積極的に神の世界に侵入して仏の化身とみずからを位置づけるというものである。この点で、決定的に神身離脱や神宮寺化の動きとは異なっていた。仏教が優位に立った上で、そのイニシアチブで神祇の世界のすべてを包摂・統合していこうとする積極的な論理なのだ。そして、十世紀末の『往生要集』に集約される日本浄土教の達成こそは、密教を中心とする仏教界に本地垂迹説を出現されることを可能にした、大きな土台であった。密教に支えられた神宮寺建立や怨霊信仰をふまえ、その対極に王権の中で成長してきた神祇信仰を支えるケガレ忌避観念の絶対化を意識しながら、その成果を土台として罪と贖罪と極楽往生を説いたものだったからである。これによって仏教界は王権と世俗世界にむけて、仏の世界が神祇の世界の上位に立つことを最終的・決定的に論理化することに成功したのであった。

 

その他

 

平将門が頼みとした八幡神は典型的な習合神であり、そのルーツは「記紀のなかで王権に反逆する神として名高い大和大神神社の神主大神氏に一族と考えられる」。

 

浄土信仰は紀元1~2世紀のゾロアスター教や「キリスト教を含むメシア思想」の影響を受けた大乗仏教の一流派として西インドに登場した、とはっきり書いているが、その説の根拠が書いてない。

 

仏教にキリスト教そっくりの贖罪思想とか、悟りに至るまでのきっちりと出来上がったシステムがあるみたいに書いてあり、はてなと思ったが、それらは著書独自の仏教の解釈のようだ。

 

牛嶋神社

 

ひたち海浜公園

ネモフィラで満開の丘にて Sun and shade

 

入り口から結構な距離をここまで歩いてきて、この青い丘が見えてきた時は、なかなか気分がハイになります。 ネモフィラの丘

 

Blue Sky and Blue Nemophila

 

あちこちカメラマンだらけです。スマホも入れたらほとんどの人が写真を撮っている。140509-0170

 

チューリップは開花期間が短いのでチャンスを逃していた。これだけ咲いているのを見たのははじめて。 140426-0301

 

Tulips in the sunlight

 

140509-0167

明治初期の日本人

 

日本その日その日 (講談社学術文庫)

日本その日その日 (講談社学術文庫)

 

 モースが明治初期の日本に滞在した時に書き留めたスケッチと日記である。去年、江戸東京博物館のモース展に行ったときに館内のショップで買ったもの。ようやく読み終わる。

当時の日本人の様子が素晴らしく活き活きと描かれている。きれい好きで、おそらく今の日本人よりも礼儀正しく、正直で勤勉、また驚くほど肉体的に頑丈。行商の小さなお婆さんの運ぶ天秤棒の籠をモースは片方すら持ち上げることが出来なかった。

家はどこも戸や窓が開けっ放しで生活の様子が外から丸見え。旅館の部屋の棚に貴重品をおいて出かけても、まず盗まれる心配はない。

よくわからないのは日本人が会話をするときに相槌とはまた別に頻繁に口から奇妙な音を発していたという話で、それはどういうものなのだろうと思った。しかし聞けばあああれかとわかるものかもしれない。

 

この辺りを読むと日本人は果たしてこの頃よりも文明化したと呼べるのか、疑問に思う。

朝鮮で恐るべき暴動が起り、数名の日本人が虐殺されてから、まだ一月にならぬ。日本の新聞がこの報道を受けた時、私は京都にいたが、この事件に関する興奮は、私に南北戦争が勃発した時の数日を連想させた。

(中略)

私は京都へ行く途中、二人の朝鮮人と同じ汽車に乗り合わした。私も朝鮮人はめったに見たことが無いが、車室内の日本人達は、彼等がこの二人を凝視した有様から察すると、一度も朝鮮人を見たことが無いらしい。二人は大阪で下車した。私も切符を犠牲に供して二人の後を追った。彼等は護衛を連れていず、巡査さえも一緒にいなかったが、事実護衛の必要は無かった。彼等の目立ちやすい白い服装や、奇妙な馬の毛の帽子や、靴や、その他すべてが私にとって珍しいと同様、日本人に珍しいので、群衆が彼等を取りまいた。私は、あるいは敵意を含む身振か、嘲弄するような言葉かを発見することが出来るかと思って、草臥れてしまうまで彼等のあとをつけた。だが日本人は、この二人が、彼等の故国に於いて行われつつある暴行に、まるで無関係であることを理解せぬほど莫迦ではなく、彼等は平素の通りの礼儀正しさを以って扱われた。自然私は我が国に於ける戦さの最中に、北方人が南方でどんな風に取扱われたかを思い浮かべ、又しても私自身に、どっちの国民の方がより高く文明的であるかを訊ねるのであった。

 

スピリチュアルな消費

 

霊道紀行 (角川文庫)

霊道紀行 (角川文庫)

 

  辛酸なめ子が行っているのは、「スピリチュアル」を自称したり、そういう分類になっているサービスや売り物を、「消費すること」により理解したり、自分のものにしてみようとする試みといえる。売り手がみずからその効能や真実性を謳っているのだから、それに対し大枚をはたいた消費者の厳しい評価があるのは当然である。結果として、すべての登場人物が嘘つきのように思え、サービスや商品がインチキ臭いものになっている。「そういうもの」がことごとくスピリチュアリティのかけらもないものにしか思えないのは、著者の特性(カルマでしょうか)、または消費文化というフィルターを通すが故なのだろうか。

元記事がけっこう古いのと(アセンション騒ぎなどもう大昔のようだ)、著者自身の霊能体験が冗談では済まないボーダーラインに差し掛かっているようなのが少々気にはなる。

Tokyo、梅、神社

神磯の鳥居 Torii

那珂ちゃんw 艦これは、やってないです。軍艦那珂の忠魂碑があります。 Ema

桜の季節ですが、まだ梅も咲いてます。 Ume blossom

KITTEの屋上より 。ExploredTokyo Station(Explored)

ExploredWings of the town(Explored) 

山本亭にて。ExploredYamamoto House and Garden(Explored)

ExploredYamamoto House and Garden(Explored)

初めて行った柴又帝釈天。Explored Tora-san(Explored)

ExploredShogi(Explored)

  

Tree of Life

聖なる科学

  

The Holy Science

The Holy Science

 

 ヨガナンダの師、ユクテスワ師の本。サンスクリット語の経文とその注釈からなる。そしてさらにそれをキリスト教の聖書と対応させている箇所も多い。ヒンドゥー語の用語は英語と対応させているが読み方はほとんどわからない。わずか78ページなので各解説はごく簡潔。ユクテスワ師の思想としては、まだ読んでないがヨガナンダの『人間の永遠の探求』などの方がわかりやすくまた詳しいのかもしれない。

 

解説は始原である神から始まる人間と宇宙の構造を示したひとつの図を示したあとで、言語・時間・空間・原子の4つの原型、コーザル体やアストラル体を構成する15の要素、個体・液体・火・ガス・エーテルの5つの粗大要素、マナス(マインド)とブッディ(インテリジェンス)という2つの極とその間のチッタ(ハート)とアカムカーラ(エゴ)という2つの状態、サットヴャ・ラジャス・タマスの3つのグナ(特質)、無知・エゴイズム・執着・反感・物質世界への固執という5つの障害、7つのロカ(世界)、7つのチャクラについて、等々...。大半が世界が現象する前の段階についての解説であるこの図は、井筒俊彦が『意識と本質』で解説するカバラセフィロートを思い起こさせます。

 

あと後半は道徳的なことや、人間の精神的発達についてなど。いずれにしてもこれは何度も読み返すタイプの本です。自分自身で通過しなければ本当にはわからない。

 

To whatever religious creed a man may belong and whatever may be his position in society, if he properlly cultivates this ruling principle naturally implanted in his heart, he is sure to be on the right path, to save himself from wandering in this creation of Darkness, Maya.

社会的地位や宗教的信念にかかわらず、これらの原則を心に刻み正しい道を歩むならば、汝は必ずやこの創造の闇・幻影世界での彷徨より自身を救い出すであろう。

 

Shamanic Journeying

 

Shamanic Journeying: A Beginner's Guide

Shamanic Journeying: A Beginner's Guide

 

 薄い本なのでそれほど時間かからず読み終わる。意識を「旅」に誘導するCDもついてお得。英語がわかりやすく、内容は教科書的に有用なので何度も読み返せる。読み返すとまた違う角度からの発見がある。

 シャーマンの旅は現実逃避ではなく、その真実性は実際に役に立ったかどうか、現実の結果によって判断すべしとのこと。シャーマニズムが何万年も続いてきた理由もその実用性にある。

いったんその「非日常的現実」の世界に入れば、三つの世界Lower world、 Middle World、 Upper Worldは無限に広がっている。

 

 
Sandra Ingerman: Experiencing the Shamanic ...

知性の限界

 

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性 (講談社現代新書)

 

 言語と文化の限界と可能性、予測は可能か、宇宙や神について考える事...。

ディベート形式で軽く読めるのだがレベルは落としていない、面白い哲学の本。必ず読みかえすことになると思われるので、前作『理性の限界』とともに本棚においておくべきです。

後期と前期で大きく異るウィトゲンシュタインソーカル事件の概略、科学と疑似科学の見分け方、ファイヤアーベントの驚くべき波乱万丈の人生、生物学者や物理学者も用いているインテリジェント・デザイン論法...。

ポパー反証主義をここまでわかりやすく解説した文章が他にあるだろうか。

会社員 どうも私には、その「反証」という意味がよくわからないのですが…。だって科学理論は、反証されてしまうと困るのではないですか?

反証主義 いえいえ、そこがよく誤解される点なのですが、ポパーは、テストによって「反証」される危険性のある予測こそが「科学的」な仮説であり、何でもうまく説明できるような理論は、実は「科学的」ではないと述べているのです。

 実例でお話しましょうか…。たとえば、占い師があなたに「今日は最高にラッキーな一日です」と告げたとします。

 ところが、その日は朝から大雨で、あなたのスーツはずぶ濡れになり、風邪をひいて熱と咳がでてきて、仕事中にはミスを連発して上司に怒鳴られ、夜のデートに遅れたことから彼女と大喧嘩になり、帰り道には走行中の自転車にぶつけられて腕を骨折したとします。

大学生C あははは、笑ってすみません。でも、それって、あまりにも不運の連鎖ですよね…。

反証主義 ところが、その占い師が「いえいえ、私の占いは大当たりでした」と答えたら、どうしますか?

 もしかすると占い師は、あなたがラッキーだったからこそ、肺炎ではなく風邪で済んだのであり、大事故にならずに腕の骨折で済んだのだと答えるかもしれません。つまり、あなたの数々の災難は「不幸中の幸いだった」と主張できるわけです。

会社員 それは苦し紛れの言い訳ですよ。だったら、もし私が自転車ではなく自動車にぶつけられて重傷になっていたら、占い師は何と言うつもりですか?

大学生C きっと「死亡するよりはラッキーだったでしょ」と答えるんですよね?

会社員 なんてことだ!単なる仮定の話としても腹が立ってくる。それならば、もし私が大事故で死んでいたら、占い師は何と答えるつもりですか?

反証主義 あくまでも自己弁護に終始する占い師だったら、「死亡してラッキーでした。生きていたら、もっともっと苦しむ結果に終わったでしょう」と答えるかもしれませんね。

 要するに、占い師は、実際のあなたの一日がどんな結果に終わろうと、あくまで「今日は最高にラッキーな一日です」という占いが「当たった」と言い張ることができるのです。逆に言えば、この占い師の発言は、最初から「反証不可能」なのです。

 あと最後に紹介されている「ハルトマンの宇宙的無意識」もここに引用したいところですが、長くなりすぎるのでそれは読んでください。

トムさん映画原作

 

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)

 

 ラノベはほとんど読んだことないが、トム・クルーズ主演のハリウッド映画の原作ということで読んでみた。どこにも引っかかることなく最後までサラッと読める。戦闘用ジャケットを身につけての侵略者との激しい戦いはたしかにハリウッドのSF大作に向いているだろう。映画は見てみたい。典型的なキャラが多い。優秀だがドジっ子メガネの整備兵なんかも映画で再現するのだろうか…。