na23's diary

読書メモ&写日記

臨済禅

笑う禅僧─ 「公案」と悟り (講談社現代新書)

笑う禅僧─ 「公案」と悟り (講談社現代新書)

著者のメッセージは「はじめに」の中ですでに言い終わっているようである。つまり「みずから坐禅を実践し、さらには公案を参究し・・・そして、臨済禅の法悦を自身で感得していただきたい」。その後は何が書いてあるのかというと、衒学的な広範囲からの引用を禅に絡めての考察と、世界中いろんな場所で活動しているらしい著者の体験談・自慢話である。臨済禅というのは教義としての内容をもたないのでそういうことになるのかもしれないが、ちょっと散漫な印象。

 

インドのヨガのマスターと違い、どうも本書の悟りというのは存在の質的な変容を伴うものではない。様々な人間の生き方の中から何を選ぶかという選択の問題、信条や考え方、身につけるマナーの選択の問題であり、そこに日常あたりまえのものを超える要素はない。そして、悟りのピーク体験は、その選択に沿った習得が、苦労の末に一気に飛躍的に進展する局面というあたりだろうか。なんともつまらない。

 

悟りというのは、それを経験するのは稀でも、それ自体は普遍的にすべての人間に内包されているものだろう。違いは、それを生きている間に経験するか、死んでから「成仏」するかということで…。悟りそのものは鼻の頭のようにひどく身近であたりまえのもので、高度な学問の成果でもなければ、何かの記録的な達成や、ライバルを出し抜く社会的な成功でもない。「死」の通過は必要にしても。

アメリカ史と『リンカーン』

嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)

嘘だらけの日米近現代史 (扶桑社新書)

煽るような文体で少々軽薄なのだが、内容は面白い。歴史物は外れが少ないですね。

江戸末期の日本は英仏に比べてアメリカが「適度に弱い国」だったから同盟を結んだ。日米は同時期に勃興した国であるというのは、確かに考えてみればそれはそうだろうと納得できる。 

アメリカの歴史は嘘で固められている。アメリカ合衆国というのはリンカーンの時代に成立したのであり、南北戦争は内戦ではなく「アメリカ連合国」という別な国との戦争だった。アメリカの成立をワシントンの時代からとするのは嘘であると。

第二次世界大戦によって特をしたのはソ連だけで、戦争中は日米にスパイが活躍していた形跡があるとか。そのあたり詳しく知りたいところ。

あと朝鮮戦争の経緯とかぜんぜん知らんかった(笑)。

 

本書を読んだあと、スピルバーグの映画『リンカーン』を見てきたのだが、予備知識としてはぜんぜん足りない。映画では戦争終結より憲法修正第13条を優先したみたいに描いていたが、そんなことあるのか。リンカーンや奴隷解放、南北戦争についてなにか読む必要がある。本書では南部を侵略、植民地化したとしてリンカーンを「ただの極悪人だった」と言っている。しかし戦争に勝つってそういうことじゃない?う~ん。

 

武とは何か

 

荒天の武学 (集英社新書)

荒天の武学 (集英社新書)

相手が内田さんだからか抽象的な話ばかりで、しかもどんどん風呂敷を広げていってスピリチュアルな領域にまで話が及んでいる。体験談などは面白いが、写真入りで具体的な解説の多かった『武蔵と柳生新陰流』を読んだあとなので、ややものたりない。対談相手の光岡英稔という方は、この人に軽く注意された子供がガタガタ震え出して小便を漏らさんばかりになったというから、よほどコワいオーラを持った人なんだろうけど。

しかしこれはわからん(笑)。

おそらく言語によって言語では言い表せない何かを表すには、三つ以上の概念が必要です。

自然を無とします。無とは存在しないという意味ではなく、対象化出来ないという意味での無です。それは神やお天道様といった普遍的な存在です。その無から、夢中生有。つまり無から有が生じた。有とは一です。

 

興味深いのはハワイの現地人がなにもしなくても鍛え上げたトップクラスの格闘家に引けをとらないほど強いとか。またフィリピンの武術カリの達人アントニオ・イラストリシモが暴漢に襲われた時、腰に差していたバロングを抜いて一撃で相手の首を落とした実話などは壮絶である。呪術も絡んでおどろおどろしい。

 

相手が自分より弱いと見ると、ただそれだけで脳味噌が蒸発し理由もなく狂犬のように相手を叩きにかかる人間がいるのが我々の生きるこの世界である。武というのはそういう突発的な異常事態において怪我をしないための術であり発想法であり心構えでもあるだろう。

餓狼伝XIII

餓狼伝〈13〉 (双葉文庫)

餓狼伝〈13〉 (双葉文庫)

武術の本を読んでいるとフィクションも読みたくなるんで古本を入手。漫画本並みの速度で読み終わる。

「おいおい、伊達よう。勘違いしてもらっちゃあ困るぜ。おいらが、あいつは強いのこいつは弱いのって言ってるのは、おいらをのぞいての話なんだからな」
「へえ―」
「いいかい。この世には、人間は、二種類しかいないんだよ」
「どういう二種類なんです」
「この松尾象山と、松尾象山より弱い人間の二種類さ」

 

あるヨギの自叙伝

Autobiography of a Yogi

Autobiography of a Yogi

  • 作者: Paramahansa Yogananda,Yogananda
  • 出版社/メーカー: Self Realization Fellowship Pub
  • 発売日: 1979/06
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amazonで500円のときに買って40%ほどまで読み進んだので中間報告。まだ先は長い(ここまでに半年かかっている:笑)。スピリチュアル関係で必要なことはすべて書かれている感じ。

 

物質化現象を起こしたり、虎と戦ったり、分身の術や空中浮揚を使いこなす様々な聖者たちに会いに行く。その後は師と運命的な出会いを遂げ、致命的な病から救われたり、飽きさせない展開で面白い小説のようだ。紹介される奇跡的事象にあまり違和感を感じないのは、必ず教訓的な話で締めくくっていて現象よりもそちらに主眼を置いているからか。また、放浪の末のはじめての宇宙意識の体験、出生とカルマと占いの意味、旧約聖書にあるアダムとイブの失楽園の真の意味、ユガとして知られる2万4000年周期説の独自の解釈、物体を創りだしたり自由に移動させる力を持つ精霊を譲り受けた男の話、マスターが執着をやめた肉体をどう使うかなど、興味深い話が続く。

 

中盤までヨガナンダの師匠であるユクテスワ師との関係が中心のようだが、彼は素晴らしい。毎年地元の祭を主催するほどの名士であり大邸宅に住んでいる資産家で、本などはほとんど読まないのだが頻繁に学者や有力者を招いて歓談に興じてさまざまな知識を吸収している。一切料金を取らずに弟子たちの衣食住の一切の面倒見ているが、きわめて厳格で弟子の欠点などを遠慮なしに追求するのであまり人気はなく、残る弟子は少ない。

ユクテスワ師は遠方からアストラルボディで出現してヨガナンダの心に直接話しかけたりする(「駅に着くのが1時間遅れるから出迎えはちょっと待ってくれ」とか:笑)能力を持つ超人でありながら、日常の出来事に普通の人と同じように笑い、怒り、嘆いたりするし、散歩やみんなで食事したりという普通の生活をとても重視している。

 

ユクテスワ師がしきりに貴金属や宝石を身につけることを勧めているので(避雷針のようにある種の宇宙的影響から人間を保護するそうだ)、私もなにか身につけようかと物色中(笑)。まあスピリチュアル商品というものはヘリウムを詰めた風船と同じで、宙に浮いているのを見ている間はワクワクするが、家に持ち帰ってしばらくすると萎んしまって終わるものだが。

 

本物のスピリチュアルほど物的証拠や客観性から遠ざかる。なぜなら精神性の深化は必ず物質性の減少を伴うからである。本書に書かれたさまざまなびっくり仰天の奇跡や超人伝説も「事実かどうか」ではなく、そういう観点から検討した方がいい。もっといいのは自ら瞑想し「味わう」ことである。

 

生命に宿る「知」は存在にどこまでも執着する。存在がたとえどのような形になろうとも、変転し、断片化し、かつてとは正反対の存在になり、裏返しの存在になっても、知は存在への執着を決してやめはしない。何よりも恐れるのは存在の消滅であり、「存在を続けること」への執着の深さは本人でさえ計り知れない。しかし最終的に、長い苦難の旅の果てに、存在を失うことなどそもそも最初からありえないという真理に気づく。知によって存在を狭め、暗くしていたのはほかならぬ自分自身であったのだ。そして哄笑と共に光明の中で悟りを得るのであろう。

 

河口慧海のチベット旅行記

 Kindle版の0円、読み始めたら止まらなくなって全部読んでしまった!

チベット旅行記

チベット旅行記

 きわめて周到に準備を行い、現地人と間違われるぐらいにチベット語にも堪能になっているのだが、それにしても一体何度死にかけているのか。飢えと渇き、無人の雪原で羊に挟まれて野宿、冷たい川を裸で渡り溺れかけ、高地への不適応から大量喀血、盗賊に襲われ、マスチフ犬に噛みつかれ、ラサまでたどり着いたのは本当に奇蹟としか言いようがない。死にそうになりながらも景色の美しさにはしばし我を忘れて夢中になる。

よく見る勇気のなかったが起伏延々、突兀としてあたりに聳えて居る群雪峰は互いに相映じて宇宙の真美を現わし、その東南に泰然として安座せるごとく聳えて居る高雪峰はこれぞドーラギリーであります。あたかも毘盧遮那(びるしゃな)大仏の虚空にわだかまって居るがごとき雪峰にてその四方に聳えて居る群峰は、菩薩のごとき姿を現わして居ります。

 

 ほとんど一生風呂に入らない(嫁入り前の娘も!)、トイレで用を済ませた後もそのままなにもしない100年前のチベット人の原始性も驚異である。

夏は随分忙しいから肉慾上の事も余計に起らんですけれども、夏過ぎて少し暇になりますと彼らが打寄って話をすることは穢らわしい男女間の話よりほかはなんにもございません。ちょっと考えて見るとほとんど動物のようです。心の中に思っていることは喰うことと寝る事だけであって着物はどんな汚い物を着て居っても構わない。それも一年に一度ずつ新しいものと取り替えるに過ぎぬからバタと垢で黒光りに光って居るです。なお一年よりも二年着て居れば豪いと讚められるような風習であります。その間一度でも洗うという事はない。

 だがこんなのはまだ序の口で、ラサについてからはもっと驚くような、金箔で包まれた丸薬として人々が珍重している「法王の宝玉」の材料についての秘密を知ることになる。その正体は…最悪のご想像の通り。

 そのラサでの体験はきわめて濃厚なものだ。いったい現在に至るまでこれほど深くチベットと関わった日本人がいるのだろうか?迷信に染まり賄賂はあたりまえ、男色女色の色恋沙汰が日常の僧侶達の堕落腐敗ぶりに驚きつつも、中にはやはり立派な人もいるようで、その人達は日本にもいないだろうというほど学問も優れている。彼らとの間にきわめて深い結びつきを得る。英明な13世法王その人とも医療を通じて信頼関係を築いてしまう。

 

 チベット仏教については日本と並び世界でただ二つの「本物の生きた大乗仏教」が消滅も形骸化もせずに残存していると高評価。チベット密教については淫祠邪教という評価のようだが僧侶の堕落ぶりを見れば仕方ないかもしれない。この時点で将来性はあるといっているが実際その後世界での評価も高まり復活したと言えるよね。転生活仏については「真実の信仰が過ぎて迷信となったのであります」と言っているけど。

チベットにおける仏教は腐敗して居るというても、前にいう通りチベット人はほとんど先天的に仏教を遺伝されて居りまして、なお幾分かよい現象が存在して居りますから、その中に真実の大菩薩が出でてかの国の仏教の腐敗を一洗し、そして仏教の真面目なる活溌発地の大自由の道理を発揮すれば、必ず再び興ることがありましょう。

 

河口慧海師、本当にどうすればいいか困ったときには「断事観三昧」といって心を無にして(廓然無聖と)坐禅し、直感に従って行動している。理性的に考えておかしいと思っても、その示す所に従い、結果的にひとつも間違っていないのがすごいです。まあ本来のシャーマン的な精神技術か、チャネリングみたいなものでしょうね。

 

チベット式挨拶

Tibetan greeting

 

日本語の窒息

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)


 海外在住が長いと日本について遠くから想いをはせる機会が多くなり、この種の日本人論のようなものが書きたくなるものなのかもしれない。そういうのはその時々の思いつきを綴った文化論みたいなものになりがちだが、離れたところでの沈静した思索の産物であって、味があり興味深いものである。

 本書は2006年の出版だけども、右派と左派のコミュニケーションの断絶についての分析などは、ネット上に起きている炎上や論争で相変わらず当てはまる。高学歴で社会的地位もある左派の形ばかりの「開明的で公平な姿勢」にに対して右派は絶望といらだちを感じ、激しい感情的な怒りや暴力を発生させる。それを見た左派の言動はさらに型にはまり、両者の断絶はどんどん深刻化してゆくという、関係性の病理である。

だが、本当に不気味なのは右派ではなく、左派と右派の間に横たわる日本語の沈黙だといわねばなるまい。


 「だ、である」と「です、ます」を混在させるコードスイッチ話法というのはこの本が出典みたい。

 本書の続編らしき『「上から目線」の時代』も入手したのでそのうち読む。

元素周期表

 ビッグバンから恒星が生まれ、恒星内部で作られた鉄までの元素のうちの水素、酸素、炭素、窒素で人体の99.5%が構成されている。さらに生物は超新星爆発によってできた鉄より重い希少元素さえも必須栄養素として活用するようになった。その「大宇宙と小宇宙の照応関係」というべきしくみがわかりやすく説明されていて感動的である。

Lake Shore

武蔵と身体

武蔵と柳生新陰流 (集英社新書)

武蔵と柳生新陰流 (集英社新書)

 武蔵の資料というと五輪書や小倉碑文、細川家の文書などしかないと思っていたのだが、未公開の柳生文書というのがあって、本書はそれを元に武蔵と柳生の意外な共通点、昔の日本人の体の使い方、柳生新陰流の奥義について写真付きで解説されていて興味深い。

 

 多人数を相手にした吉岡一門との戦いの様子なども描かれている。それによると二刀を後方に隠すようにして持ち、体ごとぶつかるように相手に迫り予測のつかない攻撃を行い、移動し続けることで囲まれるのを防ぎ有利に戦っていたようだが、刀を構えた人間に向かって体でぶつかっていってなぜ勝てるのか。やはり化物としかいいようがない。

 

 柳生と武蔵に共通の極意については理屈はわかっても実際にやってみるのはとてつもなく困難だろうということがわかるばかりである。常につま先を上げて踵を踏んで歩き、丹田と身体の中心軸の安定を基に、腰を中心とした円運動を用い、剣を身体の一部と化すことで、柳生の場合なら「後の先」といって敵に先に攻撃させて勝つらしいが。

 

 昔の人は農作業でも膝を使って腰に負担をかけない身体操作を身に着けていたというから、「腰の曲がったお婆ちゃん」というのは近代以降に現れたのだろうか?

 

Kindle Paperwhiteと初キンドル本

Kindle Paperwhite

Kindle Paperwhite

 文字の本を読むなら圧倒的にこれがいい。目が疲れない。欠点は付箋が貼れないこと、パラパラ読んだりできない、数ページならともかく数十ページ以上戻るのが面倒なことぐらいかな?付箋の代わりとしてハイライトにしたところを後で簡単に読み直せるのは便利だし、洋書を読む際に簡単に単語の意味を表示できるのも電子本の長所。いままでプリントアウトして読んでいた文書もメールでこいつに送れば簡単に持ち出してどこでも読める。電池持ちの良さも素晴らしい。

池上彰の政治の学校

池上彰の政治の学校

 kindle版が250円のときに買った。はじめて池上彰を読んだのだが文章、内容ともに偏りがなく実にバランスがいい。油がよく効いている感じで、伝えるべき内容があってふんだんな発表の場所を得ている人はやはり無駄がない。基本的なことからわかりやすく解説してあり読む価値は十分にある。 アメリカの大統領選のように国民が積極的に選挙に関わることで「政治家を育てる」土壌をつくったほうがいいという意見にはそうだなぁと。

日本の政治が一体となって、総理大臣を育てる仕組みを作る。それをしないと、いつまで経っても宇宙人のような人が首相になったり、期待してやらせてみたけど、実際なってみると「うわ、こんな人物だったのか」と驚いたりすることを続けることになる。